REFLECTION2019

とあるOLの頭の中を徒然と

平成終わるとか実感ないわあ

どうもKです。

平成が終わる。平成が終わる前の晩に書いていたりするんだけど、驚くほど、へーそうなんだ感がすごい。実感がない。そして少し、寂しい気もする。

 

それもそうだ。平成生まれの私のとって、今時点私の人生のすべては平成が占めているのだから。昭和も明治も大正も聞いたことしかないのだ。もちろん、令和だって。

 

平成ってどういう意味の言葉なんだろう。たいらになるってこと?平等が成り立つってこと?あほが露呈するのでここらへんにしておくことにして。

多少ぐぐった情報によると司馬遷という人が書いた『史記』の中の《五帝本紀》という一巻の中にある言葉、「内平かに外成る」と中国の古典『書経』の虞書というテーマの3番目、大禹謨(たいうぼと読むらしいよ…)の「地平かに天成る」という文言を出典としているとのことなんだけど、願いとしては「国の内外にも天地にも平和が達成される」ということらしい。知らなかったよ。

 

一方新元号の令和は出典が『万葉集』とも張衡『帰田賦』とも言われている。「万葉集」巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の序文である「初春の令月にして 気淑(よ)く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」…この一節はきれいな言葉だなあと思う。

様々な災害が続いた平成の次の時代、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という願いが形になることを願うばかりだ。

 

平成と令和をならべると平和が入ってるのって、なんだか日本っぽいなあって思うんだけど。わたしだけかな。なにが日本らしいか聞かれても答えられないんだけどさ。

 

 

私が生きてきた20年そこらでもいろんなことが変わったと思う。

ファミコンスーファミになり64がでてPS、PS2PS3ゲームボーイゲームボーイカラーPSP、DS、3DSWiiPS4、スイッチに今はVRだ。

カセット、MDがCDになりDL、イヤホンからBluetoothへ。携帯はパカパカからスマートフォン

テープからDVD、ブルーレイ、今はテレビの録画はもっぱらHDD。

友達づきあいは手紙からEメール、メッセ、LINE、twitter、FB、インスタへ。

本でさえ、紙の本からKindle、新聞も紙からスマートフォンへ。

 

家族との何気ないやりとりでさえ、紙の書き置きから今はもっぱらLINEに変わった。

デジタルとツールの進化がすごい。

でもわたしの中身も、人とのコミュニケーションの本質も別に何も変わってないと思う。手段が変わっただけだ。大切なことは人間が誕生してからきっとそんなに変わってないんだと、思う。

 

新しい時代はいきなりやってくるわけじゃない。

日々少しずつ変わっていく。

前髪が少しずつ伸びて目に入る長さになるように。

爪が少しずつ伸びていくように。

少しずつ、確実に時は流れてく。

 

怖がらず、おごらず、穏やかに見つめたいと思う。

ありがとう平成。さよなら平成。

 

 

予約投稿だからこの記事が投稿されるのは令和だ。

令和、令和、令和…。慣れないなあ。