REFLECTION2019

とあるOLの頭の中を徒然と

300百年後に残る仕事

アナザースカイを見てて、書きたくなった。

松岡茉優さん出演の「ANOTHER SKY/アナザースカイII」(日本テレビ系、金曜午後11時)の9月27日放送分

 

自分自身もオランダのアムステルダムに行ったことがあって、レンブラントの作品も見て、感動したし、運河クルーズも楽しくて、デルフト陶器もかわいくて…と懐かしく感じながらなんとなく楽しく見てたのだけど、

 

”300百年後とは言わなくても、未来に残る仕事がしたい”

 

そんな趣旨の言葉を松岡さんが話してて、ああすごく素敵だなって思った。

 

人はつながっていて、一人では生きていけなくて、経済活動の中にいるということは何かしらの形で未来につながっていて、残っていくということだと思うのだけど、でもあらためてそういう考え方って好きだなと思ったし、普段言葉を発信すること、何かを表現することってなかなか自発的にはしないから、ああもっと自分が生きた証を何かに残していくこと、形にしていくことって意識してみてもいいのかもしれないって思った。

 

音楽でもいい、詩だっていい、何か物語でも、生き方でも、物でも、記憶でもなんでもいいのだけど、なにか、なにかを次の世代に、未来に。

誰かに導かれ支えられてここにいるように、生きる勇気を与えるような何かを残せたら素敵だなあ。

 

 

 

 

 

連休明けのお仕事について感じたこと

 

どうもKです。GW明けてお仕事がはじまりました。

 

世間では会社行きたくないなとか。学校行きたくないとか。憂鬱だなあとか。五月病とか。無理して職場や学校に行くのはよくないよねとか。

色々と意見がありますが。

 

お仕事が始まって、なんだかリズムがいつも通りになった気がして、調子のいいわたしです。

 

仕事はもちろん、楽しいことばかりではないし、大変なこともあったり、責任もあるけれど、やっぱりやりがいを感じるし、仕事好きだなあって思うわけです。

(個人の一意見であり、みんな仕事好きになれとか働けとかいうつもりは一切ないです。わたしは好きであり、充実感を感じるなあという話。うちはうち、よそはよそ。)

 

その上で。

 

一生懸命仕事するとお腹が減るからご飯は美味しく感じるし。

限られた平日の時間だからこそ、一日の中でプライオリティをつけて動けたり。

仕事しているからこそ、人との約束をうれしく感じたり、その約束の日まで頑張るぞーって思えたり。

 

社会の中で自分が何らかの役割を持って、そこにコミットをしているからこその充実感と時間の制約と、だからこその日々の尊さと余暇の大切さ、みたいなことを、ふと感じたGW明けなのでした。

 

これ、もう少しまたお仕事続くとGW帰ってこないかなあ…休みはよ…になる可能性大ありですが(笑)

 

 

 

ご飯を美味しいと感じるときについて

どうもKです。

 

突然だけれど、最近ご飯を美味しいって感じたのはいつだろう。

つい30分前ですとか、昨晩です!なんてことを思える人が多いといいなと思う。

 

ご飯を美味しいと感じるかどうかって、わたしにとって結構大事なことだったりする。

 

一日たったの3回朝昼晩に訪れるチャンス(そもそもどうしてこの3回なんだろうね?)。それもわたしは朝が弱いので朝ご飯を抜いてしまうことが多いから2回。かつ昼ご飯は仕事の関係などで時間も内容も自由に食べられたり食べられなかったり制限があるので、実質自由に楽しめるご飯って夜の1回なわけだ。

そのたった1回のごはんを美味しい!!!と思えるかどうかって、日々のモチベーションにかかわる。とても重要な課題だったりする。のだけれど。

 

つい最近、好きなはずの食べ物を食べても、味がしないと思ってしまうことがあった。

量は普通に食べられるのだけれど、満足感も充実感も、あーー!食べてやったぞ!感も生きててよかった感もない。どうしたものか。困った。

 

要因として考えてみたのは下記だ。

・単純にお腹がすいていなかった。空腹は一番のスパイスというからね。

・乗り気ではないのに惰性で食べ始めてしまった。心持って大切だよね。

・単純に食事が美味しくなかった。そんなこと、、、たまにはあるよね。

・食事の雰囲気がよくなかった。一緒に食べる人や環境など、まあ影響はあるのかな…

 

他に何か思いついくことはあるだろうか。

これをまとめると下記のような式となる。

 

空腹度×食事に対するスタンス×味×環境=食事が美味しいかどうか 

 

わたしはこの4つがもしかするとややほぼ悪いほうに作用したために、比較的いつでもご飯美味しい勢(いわゆるメシウマ族/違う)なわたしが「ご飯美味しくない……orz」という状態に陥ったのかもしれないと思っている。

 

ここまで考えてしまうくらいご飯美味しいかどうかが大事な食い意地のはった自分自身にもOMGとなるが、仕方がない。重要事項なのだから。

 

そしてご飯を美味しいと感じられない自分への悲しさにもんもんとしていたのだが、、、ついにご飯が美味しい!と感じられるごはんが連続し始めた。

 

シチュエーションを思い返してみると、やはりこの4条件を満たしていた!

・空腹度が高く(仕事で頭使った)

・ご飯食べよう!と前向き(主体性もある)

・まあまあ気に入る味付けとクオリティ(これ好きなんだよなーと感じられ)

・気ままにおいしく食べられる環境(好き勝手言いながらもぐもぐ)

 

可能な限り、毎日ごはんを美味しい美味しいと感じながら生きていきたいものだ。

 

ふうー。仕事したなあ。ああお腹減った!ご飯食べよう。あーうまい。今日もいい日だったな。明日もきっといい日になるよね?はむたろう。…がんばろう。

 

これが理想だ。

 

人間として基本な食べること、この質を良好に保つこと。

ご飯美味しい!という健全な感覚を大切にしていきたい。

そのためには仕事をはじめ、なにかに一生懸命頭や心を使うことは良いスパイスになりそうだ。

 

 

 

もりおか冷麺 激辛くんにハマっている件

どうもKです。たまたまドンキに寄った時に目に入ったもりおか冷麺。

 


www.donki.com

 

冷麺単体ってわたしそんなに好きじゃない。いつも頼んだ後、なぜか失敗したなって思う。普通にラーメン食べればよかったって。冷やし中華も同じ。

でも、激辛くんっていうところもあって、赤いスープとこのパッケージで、惹かれて購入してみた(辛い物好き)。

 

2食ぺろりと食べつくしたよね。(3日以内くらいだった気が)

普通に、美味しい。

 

わたしのおすすめは、麺を鍋でゆでるときに一緒に卵をあっためて、半熟にしてのっける方法。+キムチと青ネギ刻んだやつを載せて、辛さは日によって調整する。

元気があるときは肉をちょこっと焼いてオンするのもいい。とてもいい。

 

これが辛くておいしいのよ!!

キムチのシャキシャキした触感と、半熟卵のとろりとしたマイルドさ、もちもちの麺、辛いスープ!

いつからある商品なのか知らないけど、考えた人GJ!!

1パケ2食分なので、ドンキに寄ったら2パケ買うことにしているわたしです。

期間限定商品じゃないことを願ってる。

 

冷やし中華は好きじゃないけど、辛い系の麺は好きって人におすすめ。

ぜひお試しあれ。あー食べたくなってきた。(今日も食べたのに)

 

 

 

還るって言葉が似合う場所

お題「海派? 山派?」

 

どうもKです。海が好きだ。理由はよくわからない。

ふとした瞬間に海に行きたいって思うし、大学時代なんかは海に行きたいって思うその足で電車に飛び乗って気が付いたら海にたどり着いていたこともある。

海を見る自由ってやつを感じてた。りあるに。

 

誰かと一緒に行くのも好きだし、ひとりで行くのも好き。

春夏秋冬関係なく、ふと、呼ばれてる気がして足を運ぶ。

 

靴を序盤で脱いで片手でぶらぶら持ちながら、波のほうへ。波打ち際をぶらぶらと海岸沿いに歩いて、ほかの海に来ている人の様子なんかを横目で見ながら、波と遊ぶ自分の足元を見るのが好き。軽く目を閉じて、髪を少し荒っぽく時々やさしく撫でる潮風と、遠くて近い波の音を感じるのが好き。歩き疲れたら少し離れたテトラポットとか高台に座りこんで、ただただぼーっと海を見つめる。砂が髪に絡むのなんか気にせずに。隣にいる人のことも、日常のこともすべて忘れて、ただただ海を感じる。

 

そんな時、ふと、いつか還る場所なんだろうなあって思う。

太陽が生まれ、還るように。

 

だからって長居できるわけでもないから、基本お腹がすいたらバイバイってお別れしてすぐ頭はごはんのことでいっぱいになる

 

海辺をドライブするのも好き。意味もなくにこにこしてしまう。

朝の静かで人の少ない海も好き。光を反射してきらきらきらめく青に惹かれる。

人の多い海はあまり好きではないけど、来たくなるのわかるよ!って思うからまあよし。

夜の海は吸い込まれそうでちょっと怖いから誰かいてくれないと困る。

海の中は無重力で、なにもせず、ぷかぷかと浮かんで、差し込む光できらきらする水中をぼんやり眺めてるのが好き。

 

山は育った場所であり、落ち着く場所であり、家族ってキーワードと近いかもしれない。

海は惹かれる場所であり、好きな人とか憧れってキーワードに似てるのかも。

 

いつか将来海辺に住んで、犬の朝の散歩で波打ち際を歩く、なんていうのも夢かもしれないなあ。

 

 

 

 

 

一本道を間違えたら図らずも公園だった

どうも。Kです。とある道すがら、慣れない道を歩いていて、微かだけど知っている道を通ったつもりが、全然知らない通りに入ってしまった。どうしよう。方向的には間違ってないのはわかるけど、一本隣か?なんて思いながらも、惰性でその道を歩いて、見つけた新緑。


公園だった。


こんなところに公園なんかあったんだ。驚きと同時に都会の中のわずかな確かにある自然に嬉しくなって、思わず歩みを進めた。木々の葉がつくる光の加減は優しく、風も和らいでいるように感じて、心なしか深く息をしながら公園を横切った。


何が言いたいのよ、て。
図らずも、心の琴線に触れるものに出会うことってある。それはただの偶然で、人生の面白さだと思う。


一年前の自分が今日の自分を想像しただろうか。答えは否。

1ヶ月前、1週間前、1日前、1時間前でさえ、答えは否。


不思議と目が遊んだ先、不思議と足が向いた先、不思議と耳が拾った音、不思議と忘れられない温もりや感覚、印象に残る味覚、すべてすべて、小さな偶然の積み重ねで、それがわたしを想像もしていなかった未来に連れていく。


そんなことを感じた、令和の春。

まじ無駄なのになんでだらだらブラウザゲームやっちゃうのか

どうもKです。ゆるっとゲーマーなわたしですが、パッケージゲームじゃないゲームをたまーにやりたくなり、無料のブラウザゲー(Chromeで問題なく動作するやつ)を深夜1時くらいからはじめて気づいたら3時だわ…みたいなことをここ数年繰り返してます。

だいたいログインでいいものがもらえたりして、初心者キャンペーンに月間キャンペーンにイベントキャンペーンでガチャの券とかもらえたり、ゴールドや必要な割と重要アイテムをほいほいくれたりするから、なんとなくログインだけしようと思ってつけると、なんだかんだミッションやりたくなって、あれやこれやと強化じゃなんじゃーやってると数時間経ってて、1週間くらい帰宅後に時間を費やした後に思う。いや、わたしなにやってんだ…(おそい)

MMOもシュミレーションもカードゲーもRPGプラウザゲーってスタートダッシュのものすごい掴みがあって、そのあともうちょっといいキャラ、装備、やりこみたくなると課金が待ってるっていう仕組みで、ここは大きな壁があるんだけど、物によるけど特にストーリーが強いものがあるわけじゃなかったりするから、続ける意味って結構こだわりでしかなかったりとか、よっぽどハマってるか、ギルドへの恩があるとか、惰性かとかな訳なんだけど、続けてると上を目指したくなる(課金したくなる)時が来るわけで、無課金でもいいんだけど、そのあたりはうまくできているというか…
ドラゴンクルセイドシリーズやら戦国IXA大航海時代、リーグオブエンジェルズ2、ワンモアフリーライフ、かくりよ、刀剣乱舞グランブルー、色々手を出して、最近は幻獣契約とエターナルスカーレットやってる。

帰ってとりあえずゲームはじめてあれこれ対応して、ふと我に帰ると喉乾いたしトイレ行きたししご飯食べてないしお風呂はいってないし今日やらないといけないことあったし、ライン返してないし、明日仕事だしわたしまじなにやってる??ってなって、ある日突然失踪するみたいにギルドやめてゲームログインもパタリとやめるんだけど、、、

また数ヶ月経つと、ブラウザゲームって調べちゃう自分がいるんだよなあ。なんなんだろうねこれ。アプリのゲームも無課金系は近いものがある気もする。

なんだろね。熱中できることがストレス解消に繋がってるのかな??
まじ無駄だなってわかってるのになんでだらブラウザゲームやってしまうのか。今後も自分をウォッチしていきたいと思います〜。

(ほんとはシヴィライゼーションに手を出したいけどやばそうだから手を出せずにいる)